少女で”在る”こと

よし、

逃げ照ちゃん名義初ブログであるよ、パチパチ~。

などとだね、フラフラと書いているとツイートの様に、ask.fmの様に、ながーっとまぁこのような要らないタイピングを辞めるのだ。

 

では、えぇ、少女性。

私自身、少女であるということを強く意識し始めたのはいつ?、と思い返すと、まずポンと浮かび上がる(飛び上がる、水上に突如出てくる。)のは、やはり高校1年生の冬、16歳であるかな?んん?、です。

何時ぞやからウーウーと唸りつつ懐古する必要も無しにツイートを繰り返しているから、もういいと言われるかもなのですがまぁ聞いてくれ、私の摂食障害発動が16歳の11月です。ここで、人形に強く憧れ、同時に少女で在り続けることを意識しました。

 

まず、少女とは何か?

女性ではない、女個体のことか、精神か。私が書きたいのは両方です。正直、生き物、固体として少女で在り続けようとするなんておかしいよね。そんなのは、プログラムされていないのだ、そもそも論。

小学生そこそこに至った女の子達には、初潮が来る。来んなっつっても来る。来るもんは来る。”普通に”していれば。しかも毎月来る、何十年も。全く、素晴らしく真面目だ。

まずこの時点で、(私は思うのです。)女の子は否応なしに少女になる。それまでは少女では無い何かです、女の子。私たち、私の言う”少女”とは、生き物として科せられた生殖義務をまじまじと見せつけられ押し付けられ、(頼んでもいないのに!)自らの女性性を意識させられるような状態に陥ることになってしまった、思春期の少女のことです。

少女は、ここで決断を迫られる。少女は自らの身の振り方を選べるようになりますね。だから、そう、生理を受け入れ時々苛々しちゃっても、享受し、女性になることを肯定する道。嫌悪を抱き、離れようとする道。後者を選んだ女の子たちが、不調和で歪で美しい”少女性”を求める。

ついでに言っちゃうと、処女であることと少女性を湛えることは、無関係であるよと私は主張します。それだって、初潮と同じと思うわけで…。分岐点であると。セックスとは、フツウ、生殖だ。子孫。産み、育て、後自らが死んでも安心ねっていう生命存続の~、、、ってやつ。それを少女であることを頑なに守りたい女の子がやってしまうこともあるわけです。ヤッてしまうわけで…。何故かって、人間であるから。それは、少女も女性もきっと大して変わらないのだろうけれどね、愛を求めているってわけ。そして、少女最大のカワイさ、好奇心。

 

少女で居る為に成すことっていうのは、後回しにしちゃって。性を拒んでしまった少女の二極化について、私が考えをまとめたいために文字を打ちますね、ポチポチ。

処女の少女は、そりゃあまあ、普通。性を拒むんだから、性行為なんて気持ち悪いに決まっている。なんら問題ないです。(あれかな?今更だけどさ、処女と少女って、所謂言葉遊びなのかな?)…次の方、どうぞ。

非処女の少女さんです。何故、女性性を拒んだにも関わらず、セックスえーいもう性行為!性行為は、性交渉なのに平気なの?って、したい。ハ~、自問自答だ。

そんなね!少女性が~って、文章を書くのはどうしてかっていうとこんなことを根掘り葉掘りお話する相手が居ないからです。だから、何度も煩いけれども、これはこの文章全体が逃げ照ちゃんのヒトリヨガリでしかない。無礼を許して。

デリケートもデリケートすぎるところを突っ突いてほじくっているわけなので、私の好奇心はモグラを探しているだけなのだけれどきっとその過程で木の根っこを傷付けたり、ミミズさんなんかを知らぬ間にスコップで真っ二つしちゃってるかもしれませんってこと。でも、少女でも女性でもメンズでも聞いて欲しいの。

少女であることに固執してしまった私がなぜ非処女であるかといわれますと、全くおセックスに性を感じていないからってだけなのではないでしょうか。もっと考えろと申されましても。だって、今さっきよ、性行為って打って少し気分を悪くしましたわよ。うえっ。多分、もう、少女なので人肌恋しい×好奇心のダブルパンチ、(そこに、後々大切になる精神的なか弱さを武装させるの、愛されたい必要とされたいって気持ち。)それが引き金なんじゃないの。

女性になる、もう絶対的に逃れようのない事実として身体に宿られる危険を犯してまで、それが少女にとって必要となることもあるんだよ。いやはや厄介である。

難解であるので、隅っこへ置いておきましょう。よっこいしょ。少女でもこれくらい言うよ…。うう…。

 

さて、少女で居るために女の子が取る手段。もう、ここいらはパカッと分離する。フツーにしていては女性になってしまうプログラミングをされている女の子は、フツーを捨てますね。そりゃそうだ。例えばAちゃんは、拒食症になる。少女性の強い細く華奢でしなやかな四肢に強い羨望を抱き、熱望する、結果として生理すら止まる。これが至高と思います。割合、高いと思います、摂食障害の女の子の少女信仰率。逆も然り。例えばBちゃんは、ただ拒む、でも身体はどんどんと女性性を増す、抗えない。性嫌悪する。同性愛者の女の子にも多いんじゃないでしょうか、少女は。

うーん、ンン、分かりやすく表へ出る症状はそれくらいしかパパッと出てきません。貧弱な思考ですこと!はぁ。

アイス食ーべよっとぉ。

 

一般的にごくフツウに育ち女性性を受け止めていける人間が多いということも、よくよく思い直せば私たちは確認など取ったことが無いのではないか!そうですね?そう!

社会を見れば分かるのだけれど。成長した女の人は女性と呼ばれますね、自然にね。そして生理日予測アプリなんてものが爆発的にヒットする、今はホットスナックの話はやめようね。女性ホルモンがなんだ、乳がなんだ、フェロモンがあーだこーだ言われるわけです。人気。つまり、大多数のお姉さま方は女性性をぶつけられた痛みすらもう覚えていないのでは…ってこと。(?)

それなのにいやはやどうして私も諸君も、この様に歪ゆえに美しい魂の元へ生まれ落ちたかね!

 

少女の始まりは初潮開始同時であり、終わりは...閉経時同時である(と、私は定義したい。その上、その後がどうこうはまた別のお話ですなどと言い逃れたい。)。少女はセックス云々でまたも選択を迫られる。成る程。

 

はあ!結局何も上手く話を運べないじゃないか!…当然っちゃ、当然です。だって、終着点なんてはなから定まっていないもの。文章に起こしたかったのです、コホン。飽きれないで~!

 

さぁ、とりあえず終わりを組もう。何か思うことがあれば、コソコソと継ぎ接ぎしていけばいい。だって、これは、私の文章なのだからね。

ニコニコ。

 

我々、いや少なくとも私個人である少女にとって、そう”在る”ということとは、つまり、言葉や思考での説明を排除した...っていうか説明の付かない感情としての、簡潔的最大の自己と生への嫌悪である。自己愛では無く、一般広義として自分を愛し、人間で在ることを愛して健やかさを胸に生きてゆける者はまず少女で居たいなどの深みにズッポリしないであろう。OK?、続けちゃお。んで、自己が嫌いなのである、だからつまり少女で在りたい私は。大人になる時間と感情の柔軟な成長が追い付かなかった、ってわけ。それは早熟であるとか、幼いとかどちらでも良いし、私は女性で在る人間から、生き急いでいるとのご評価を戴いて生きてきた。大変ご名誉でご迷惑なことである。自己が嫌いなのだから自己の生を納得しろというのも大分傲慢ですね、だって嫌いなのだから。嫌いとはすべてを破壊する言葉ですね、恐ろしい!生きることに反旗を覆そうという人間がそもそも生殖をしますかというとこれもまた本能に背いて御免なさいどうやら私のプログラム欠陥が無いですかといった感じで本当にごめんねっていうのはあるが、繁殖するわけが無い。だって、やだもん。そこで、覆そうにも覆す反旗を持たない私という不良品疑惑人間ちゃんは、精一杯の力で少女に留まろうとする。やぁ、でも、少女、だってコドモなんです。責任はオトナが取ってくれるでしょう?なんて、ワガママもあったかな。(ワガママだからこそ、責任を度外視した”not 性行為"としてのセックスも行われるのであるか?)

全く、調子の良いことであるよ。

 

ふむ、全く何もかもうまいこと言えていないではないか。ただ、私は疲れましたし先ほどアイスを食べてから美味しかったのだけれどお腹が痛むのよ。さぁ、これより良い結果がわかりませんので、失敬失敬。