回想

こんにちは。

感情が無いです。

 

これは回想である。

私は感銘を受けた。衝撃を受けた。感動した。間違ってなかった!生きている!後を追いたいと思った。私はひどく感化され、腐食された。

 

ただ、何を書こうと思ったのか本筋を失念したので、好きなようにさせてもらおう。

 

私は今でこそ自我をいうものを完全に確実に正確にぽっかりと喪失させてしまったのであるが、それこそ小学生の時期の自分は、酷く自我の強い、有り触れて汎用的な子どもだった。この時期に自我を使い切ったのかも知れない。

そして、”金魚の糞”であった。スクールカースト上位者で、権力者だった。あと、モテた。小学二年生の春に、初めて学級委員長が選出される。斯くして私はクラス投票で学級委員長になった。やったね!真面目である私はここで縁取られた。

あまり覚えていないけれど、小3で母親が契約社員になるまで、私はすぐ早退するガキだったし保健室の常連であった。本質的なサボり癖が見て取れる。日中小学校まで迎えに来てくれず、帰宅しては愚痴ばかりの母親を見てから、早退は愚か休むことすらしなくなった。しっかりせねばと思ったのだろう、多分。

小4で女子っぽいじめじめとしたいじめにあった。ただ、自我が強く自分大好きマンだった私は真正面からぶつかり、何でよ何でよとキレた。そりゃウザいわ。その冬、最後の席替えは先生の好意で自由に組めることになった。死ね...。予感的中。私はボッチだった。その頃、私はカースト頂点のNちゃんが大好きだった。Nちゃんは集団登校の班が同じで、同じお稽古もしていた。割と仲良しであって、Nちゃんグループに虐められちゃっていた、(笑)。それでもNちゃんラブだった。重い。

教室の真ん中で、女子に囲まれて、ワンワン泣きながら、陶酔に浸っていたのを覚えている。注目される!可哀想な私を見てよ!といったところだろう。クソポジティブだ、どこまで前向きなんだ!席替えの結果なんて今はどうだっていい。

 

それから中学1年生になった私は、再びNちゃんにじめじめとしたいじめを受け、早々と憔悴し、メンヘラ完成。Nちゃんとは、5年生~それまで、再び仲良しだったよ。

まず手始めに、つらくなるとひたすら腕に爪を立てて皮膚を剥いだ。日記帳に死ねブス地獄に落ちろと書き殴り泣いた。親には楽しそうに振る舞った。

中2で、I君に落ちた。I君は超イケメンだった、だから好きだった。あと、担任に周りから見ても分かるくらい、女々しいじめじめといたいじめを受けた。でもそのクソ女が転任になるとき、悲しくて泣きながらさよならした。あと、I君が愛しすぎてリストカットタイプのメンヘラへと進化を遂げていた。途中で女の子を熱烈に好きになった、どうやらつらくなると女の子へ愛が傾く傾向にある。

進路は、いい子振りたかったし面倒だったので商業高校に推薦で入った。

 

高校はごく平凡だったし、相変わらず死ねブスと書き綴り泣きリストをカットして過ごしていた。あと、スクールカースト下位であった。Popteenに出会い、椎名ひかりが痩せたので私も痩せたらいつの間にか拒食症になっていて気づいたら過食嘔吐ばかりしていたっぽい、日記的に。家族は誰も気づかなかった。高2でギャル集団に属そうとしたが、屈し、女々しいじめじめといたハブり行為に遭遇を果たす。つらい...。武装の為には、痩せてギャルにチヤホヤされるしかないので摂食障害が悪化し、34kgという名誉を液晶に刻んだ。進路はこれまたいい子ぶりたいし実家から離れたかったので県外の国立高校に推薦を受け、通った。

 

そして今、私は引きこもりであり、睡眠障害であり、自我と感情と、単位が無い。

ただしかし、神様のように尊敬できる人間が出来たわけだ。

嗚呼!大好きです!あなたを追いたい!同化したい!

そして大学への関心の一切を無くしてしまった。

 

疲れたので、私は部屋の掃除をしようと思う。

また、文章を書けるうちにもうちょっと概念的なことも書きたいな~。

さてだから何だと思うのだけれど私自身はこれを書くことで一時発生的な懐古を様々できたので良しとしよう。

 

それでは、

ニャス!