諦めたこと
去年から全く進歩が見られないなあ!って、一年前のpostを眺めて感じていたのですが、あの頃はまだ自主性を持っていた。
いつかに、私は私の人生を辞めた。本当に、辞めたんだよ。
思い返せば自分の為に努力したことが、高校生までは、あったはずなんだ。
私は自由を希求し、自由になれば羽ばたけると信じていた。自由になれば、なんだって出来るんだって。こんな自分じゃないってフラストレーションの全てを縛りつけるしがらみにぶつけて自己正当化を図っていた。
だから、頑張った。
母が憎かった。自分を縛りつける全ては母になって、この人から逃れられないから私は私を殺しているんだわって、だから私は希望を抱いて生きてこれたのね。
ありったけの力を注ぎました。第一志望大学に進学を果たしました。一人暮らしをしました。
どうなった?
すべてを失くしたってわけ。
だからさ、私の本当の力なんて全く嘘っぱち幻想夢物語に過ぎなかったって突きつけられちゃったわけ。
それをうるさい!って一蹴する為の受け皿は自分が取っ払っちゃってた。
チーン
私は引きこもり、早一年。
どうやら私は""主張は受け入れられなくて当然のもの""と学習してしまったようだ。
希望を口にすることなんて無くなった。
これでいいのかもしれない。傷付かなくて済むからね。
そして自分の為に生きることも諦めた。これははっきりと諦めた。ただし、明るく、前向きな解決策として。
だってね、仕方がないじゃない。
誰が何と言おうと、こればっかりはどうにもならないよ。
私はパンピーで大した学も無くユーモアも無ければ、突出した気持ち悪い趣味すらないんだもの。スポーツもめっきりだめ。
そして何より、一番に。
大学に入学してしまった。そして私は引きこもりと化してしまった。それなのに卒業を希望している。
ああ!スッパリ諦められたらどれだけか!
いやそれ以前に専門学校へ~なんてね。それはもう、終わったことだから。
だからね、諦めちゃった。
希望とか期待とか、持つだけ無駄無駄!傷付くのってやっぱり一番怖いの。
私が私に求めたいのは、ただ与えられる全てをこなし、受け入れ、これが一等幸福なんだって信じて、愛して、ニコニコすること。
それって期待しすぎじゃねーのじゃねぇんだよクソがよ。そんなのな、そんなのって人間らしくねえんだよ。
きっと、自分に期待して夢を見たり、現状に満足せず悔しさに泣いて野心を燃やすとか、自分と誰かを比べて尊大になったり憎んだり、負かしてやろうと努力するから、みんなキラキラするんだろうなって、引きこもってて思った。
在る全てに満足したんじゃ、感性は死んでしまうよ。
それなのに、諦めるのならば、私に残る道はただ一つ。
愛する対象をくれ!愛されてください!
結局それかよ。
では私は元気なので、肌トラブル改善方法について調べてきますね。
ニャンニャンオー