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愛されないなら死んだ方がマシだと書いた。

愛されたいのはたった一人私が愛している人だけで、だからこそ愛されないなら死んだ方がマシだとかほざいた次第なんですけど、そりゃ高望みだよねって感じする。分かってる。

 

人間はどうして結婚しているの。そして結婚することをさも当たり前かのように言うの。

こんなご時世だもの、結婚なんて~って皆様口を揃えて言いやがったりしますが人のこととなると結婚は当然って世論形成されるのはなぜなの。自分のこととなると、結婚しないと負けみたいになるのはなぜ。

好きだから結婚するんでしょ、知らんけど。

 

私はというと、一生同じ人間を愛する自信がある。

「そのくせ元カレとか言っちゃうんだね」やめて、それはそれ。

愛されなくとも愛し続けるって誓える、死んでも構わないって。(死ぬより、一緒に生きていきたいんだけど。)ただ”私があなたを愛しても構わない”って認めてくれれば十分なのに。

一度好きだと思った人間を嫌いになんてなれない。愛しているなんて、当然嫌いになんてなれない。

 

打ってたら熱が冷めてきたんで辞めます、何度もツイートしているし。

 

 

20歳とかいう年齢に、理想を抱いていました。子供でいられないと思っていました。自分は20歳に成れないのではないかなって本気で思っていました。それまでに消滅するのでは、って。そしてそれを私は今だって望んでいるけれど。

 

"10代らしい"時間を生きた覚えがないのです。

10代らしいってなんでしょうね。

他者とこんなことを真剣に話す機会もありませんので分からないのですけれど、自分が将来子育てをするなら、分かりやすく言葉で此方の気持ちを伝えること、感情の多様性を認めること、甘えるって状態を子どもが自然に行える状態を作ること、社会ではなく親になること...社会ではなく、親でいること、愛してる~って全力で伝えること。それをしたいのね。

それの逆を、私は教わってきた。私が親から与えてもらってた財産は、社会。


親には感謝しているし、もう、これで良かったのだと、ありがとうって素直に思えるようになれたのだけれど、だから私は人間のじゃれ合いみたいなものに不全を感じる。

 

実家にいた頃、産まれて1週間かどうかの子猫が納屋にいて 当然見殺しにも出来ず、育てた。今では元気に大きくなってくれて嬉しい限りなのだが、如何せん彼女は""甘噛み""を知らない。



甘噛みを知らなくて、知りたくて、親を憎んだりしたけれど、多々述べているうように、ADHDである可能性があるのだと分かってハッとした次第です。そこで初めて自分の、言いようのない、問題のないはずの家族への、どうしようもなく消化不良を起こし腐りかけた憎しみ、それに不快を覚えながらもそうでもしなければ保てない自身の不調和、ピースがパチパチはまっていった。

私の尊敬する両親は、間違っていなかった!私の尊敬したかった両親は、やっぱり尊敬すべき人間であったのだ!


機能が不全なのは、私だ。


過去、誰かに育て直して貰わなければ自分は生を頂くことも出来ないと思っていた。



20歳。成人式(綺麗なお洋服が着れるのでとても楽しみ!振袖は母に選んで貰ったの。彼女のセンスはとても好き。楽しみ)を控え、昨今の私事情ですが、無かった時間は、別の何かと入れ替わっているだけなのだ、と。ただ、幼少と"呼ぶべき"時間にそれをせず、他の何かを"した"のだと、それで良いんだって。


だから、私は、自分で、1人でだって、幼少を学べるんだって、


そう思わなきゃ、生きられない。



明日も、明後日も、来年も、

生きていたいね、見たいものが知りたいことが、まだまだあるもの。例え何も残せなくとも、生を受けた、享受するだけの時間を、許して欲しい。


さよならは、図々しくたって、したくないよ