アイデンティティの喪失

 

アイデンティティとは果たして何であったのだろうか。考えろ、考えて、探し出せ...

結局、わたしという存在が一個人としてこの1年半に""成した""こととは...

 

わたしは1年と半年前から、酒を飲み煙草を吸い、幅広い図書と音楽に身を浸した。そして体重は10kg増え、10kg落ちた。単純なことだ。

自己の内面に飲まれ、打たれ、それを叩き返し生活を立て直すために、それらはわたしにとって必要であった。考えろ!自分の脳以外に信じられるものなんかあるもんか!さあ考えろ、それだけは辞めるな!問題は何だ、殺すべきは何だ!...ただ、もうそんなこと、しなくて良いのだ、肥大した精神の腫れはやがて落ち着くのを待つより他無いとしても、わたしには痛み止めが必要であり、抗生剤が必要であった。苦しかった。

 

""一人""になる時間の喪失、付与された人権...、実存をまざまざと見せつけられ、認知を迫られている...。ざわつき、死の剥奪...。幸せとは、権利とは何だったんだ?

 

いまここに確かに在るわたしとは(実家に帰ってからのことだね)、ひどく穏やかであり、そのような自分と意識との間に亀裂が入ったまま、誰も修復工事に取り掛かってくれないでいるし、それどころか家主のわたしが人に頼まないのであるのだから仕方があるまい。そして家主は修復の仕方なんて知ったこっちゃないのです。

溝は、深まるだろうか?そして意味とは、どうやって求めていくものなのであろう...

 

ああ、軟弱なわたしの身体は!たったの数日で害悪な煙を吸い込めない装置と化してしまった!いつの間に清浄化された!?持ち主の意志とは、全く意味を為さないのだね。

 

わたしは、アルコールや煙草を摂取しつつ音楽を聴いたり読書したりなんか出来る自分が、如何にも恰好良いような気がして、好きだったのです。

ただ、それだけに縋り続けていたかったのです。

 

夢に、好きな人が出て来ました。離れたくないと泣きじゃくるわたしの肩を抱いて、「どうしてぼくに執着するんだい?」と。

夢は自己への問いかけでしかないのです。自己の中でグルグルととぐろを巻き、稀に牙を剥くのみなのであります。

 

好きなものに想いを寄せ続け、変わらないでと願うのは、幸せではないのでしょうか?