最善に納得したい

 

いい加減確認しなくとも把握済みな逃げ照ちゃんボーイズ&ガールズの皆さんこんばんは~~~~~~~ 実家だよ~~~~~~~~

 

実家での暮らしは思っていた以上に””療養””向きであったと言えるでしょう。パチパチ。

一人暮らしで引きこもりをフツフツとコソコソ培養していた頃、何もしていないという事実だけを確認し続けるような時間の活用を行っていた次第なのですが、では現在のわたしはと言いますと、6時に起きてカーテンを開けて、朝昼晩のご飯を食べて、小麦粉を焼いたり魚を焼いたり、そして犬と散歩をしてみたりなどしているわけです...。

 

""療養""の為にここに居るという観点を、手放してはならない。

それは、時間の為にそしてそれ以上に何よりわたしを庇護する為で、

 

 

普通にね、ああ~私どうしてこんなに穏やかな生活をしているんだろう、何をしているんだ...って、止まった瞬間瞬間にサッと思考にノイズが入るように、それはふとやってくるんです。さて、これはノイズなのか、それとも普段の私がノイズだらけになっているのかな?

そんなことは今は良いのです。

 

ここまで来て、これ以上落ち込んだって、それこそ本当に””仕方ない””ようになってしまう。能天気で、明るくいなければならない。考えろ、それだけに努めろ、と。

 

まず、第一に。

わたしは「なぜここにいる?」→簡単です、心身を一旦鬱の底から引き上げられるところまで引き上げてしまう為です。

それによって、今後をスマートにするんだ。人間、わざわざ苦しむ必要なんてない、明るさが一番。

→つまり、ここにいることは、必然だったのだ。いつか必要となることだったのだ。

→クリア、考えるなってことです。

 

次に、

なんで「楽しそうに、楽しげなことだけしているのか?」→2点ほどあげます。

1、息をしなければ死ぬからじゃボケ 引きこもる、鬱々とする、それら習慣を忘れ去るくらいの衝撃が、今後も生きていくことを選ぶわたしには必要だったのだ。

2、半年後のことを考えよう。大学生活は、通常モードより幾分厳つくハードなものになるはずだろう。今は、""高い""休暇だと、割り切ってしまえばいいのだ。私が嗚呼頑張っているな...と感じている他者其々と、それぞれにして同じになれる下積み状態なのだ。しんどさなんて、被るわけないじゃないか、そうでしょう。

 

 

結局のところ、わたしはここに穏やかに生きることを選び取った自分を、いや最早過去の自己すべてを、認めるしかないのだ。ただ認めるのみ、当事者として過不足なく許され得る権利はそれのみなのか。

 

母親が、しきりに専門学校を勧めてくる。

わたしだって、専門職に就きたいとおもったことは多くあったし今でも少し憧れたりする。母にしたって、(私もなのだけれど、)一度大ゴケかました教育施設に再来をキメるのは如何せん不安が大きすぎる。

母にとっちゃ、賭けだ、デカい賭けだ。そりゃもうギャンブルよ。

 

いつだって親はギャンブラーだ。

 

だけど、これはわたしの人生であるという前提に置いて我儘を通させて頂きたのだが、それはなけなしのプライドなのだ。

大学を辞めるわけにはいかないのだ。

わたしは、一度選んだヤバい道でも、上手いことヌルッとすり抜けられると信じたいし、それこそ敬愛すべきあの地でニヤニヤしながらせめて、舞台を降りたいのだよ...

 

大学に意味があるんじゃない。

わたしが選んだ選択を、クリアできないことが、わたし""は””イヤってだけ

 

なんだって、満足いくようにしたいよな~~~~~!

皆さんの行く末にどうか灯り差すよう!