暗くても夜は明ける


半年間、休学し、実家へ送還され、労働に身を置いた。

3月、晴れて出所だ。


昨年9月。刑に服し始めてから、いつだってずっと暗くても夜は明けると繰り返し繰り返し口遊み続けてきた。冬はいつか春になる、蕾は芽吹くと、そんな古典詩的なものを信じることになるだなんて思ってもみなかった。そういう人間だったので。


しかしどうだったか。

あっという間の半年だったと言うべきか。

冬にだって生き物は生き続けるのだし、花も咲くし、皆さんは生活を続けるし、私だって、笑顔でいることくらいはできるのだということです。


先日、就職でアルバイトを辞める先輩への、第4回卒業式(アルバイト先主催)があった。

そこで激なんということでしょう状態なのですが、私まで文集と送られる言葉を贈って頂いた。マジ。


マジ感涙、一人でさめざめと泣く私。素晴らしく情緒的、可愛い可愛いと褒められた、ええ!



とにかく、わたしは、体感ではものの数日前まで引きこもりでした。本当。

暗くても夜は明けると信じていた、それだけが救いだったのに、夜も深い内から、わたしは人に認めてもらい、笑顔をもらい、幸福を頂いてしまったのだ。もう人生って最高。


働き始めてから、2つだけ心掛けていたことがあってね。

ひとつ、愚痴を言わないこと。ふたつ、働きたくない行きたくないと言わないこと。

そうしてつい先日のように思えるのですが12月からは、毎日笑顔でいることを、みっつめの取り決めとした。


文集を貰ったと先述したが、その全てを、アルバイト仲間が、記述し、その上褒めてくれ、なんと尊敬しているとまで言ってくれたのです。


ただの誇張表現だと言いたいなら言えや、わたしは未だかつてここまで嬉しい文集なんてもらったことがないし、一生大切にする。ずっと誇りにする。


例えば、少し気を利かせた言葉が、他者の人生を救うということ。例えば、誰かへの尊重が好意へつながり、たったそれだけの親交が他者の記憶をキラキラさせるということ。それを、可愛い可愛いアルバイト仲間のガールズたちが教えてくれました。感謝。



こんな半年間、全て無駄で、早く私は刑期を終えなければとそれだけを頼みに、日々愚痴を言わず堪えニコニコしていた。

それが、すべてキラキラになったんです。すごいんです。



ニコニコするということは、最高ですね。



得たものとは?

正直何も得ませんでした。知力、体力、共に、何の成長もありません、ただ、それは客観的評価で。


ただ、ただね、わたしはいつもニコニコしていて良いんだとわかったことが嬉しい。


いつもニコニコしているだなんて、今までは思えなかった。それはただあやふやにヘラヘラしているだけだとしか思えなかったんです。病かよ。



眠たくなったので、どうせまとまらないひ、寝るわおやすみみなさま。明けるタイプの夜なので、さよならさよなら、