中学生の頃から考えていただけのこと

こんにちは。

此方、at 岡山市。大雪です。

雪ってすごいね!めっちゃくちゃ楽しいね!うつ病なのにね!!!

 

もう何年振りだろうかな~、小学3年生以来かな?積もった雪を見ました!うそ!

嘘だった...

高校2年生のときも、一応薄っすら積もったなぁ。

あの時は「絶対、次に雪が積もった日、この純白の中で血を撒いて死んでやる...」と強く思ったものです。懐かしい。そして、次に雪が積もった日である本日、私はと言いますと、雪だるまなど一人で、深夜2時に、運動公園で、作ってみたり雪の上を飛び跳ねてみたりなどしているわけです。人生だ。

 

閑話休題

今回は、全くもって終着点の無いブログだよ!金原ひとみ的にいうと、錯文だよ!

 

中学生の頃、通学路をとぼとぼ歩きながら考えていた。(ここからは私の単独思考なので、なんというか、譲歩してね!)

意識(なんていうのかなあ、個々の脳?認知世界?)って、人の数ほどあるとすれば、世界も同数あるってことかな。そもそも私の意識は”私の”なのか、あの子と共同利用じゃない保証無くない?ていうか、私は”私の”意識しか認知出来ないけれど他の人はどうなんだ?私の考えは分かるのか?それどころか、私が見ていない間、みんなは何をしている?私の”世界”に、視界に入らない存在は”居ない”。でも、”居る”。私がそっぽを向く、背後に、さっきまで視覚的に捉えていた彼女は、”居る”?私は、行動を命令されていないけれど(たぶんね)、他の人は?みんなシナリオがあるんじゃないの?人生まるごとドッキリってわけ?そもそも、私たちはお人形なのでは?お人形だって意識があるかもしれないし、私が右手を動かしているのに知らんぷりして見えないふりして自己的に動いていると思っているかもしれなくない?それと同じように。

全くもって頭が悪いし、考えていると疲れるので大体途中で辞めていた。

今はじめて文章に起こした訳で、何かふむなるほどこれは...となるかと思ったけれど、何にもならなかった。どう思った?

 

そもそもこういう全く答えがないことを、考えるのが私は好きなだけなのだ。

 

雪が、まだ降っている。すごい。

私はなぜそのようにファンシーでキャッチーでポップな雪コンテンツを投げ打ってまで、自室にこもり錯文を書いているのかというと、雪だるまを作ったの。さっき。それを写真に撮ろうと思った瞬間、iPhoneの電源が落ちてしまったわけで...。悲しい。

今ね、充電中。そろそろ70パーセントになるから、もう一度遊んでくるね!うつ病だけど!!

 

よい夢を!