煙草と酒と読書そして音楽

 

煙草、愛すべき時間経過を取る小説が脳を打つとなると吸いたくなるし、敬愛すべき虚無的な音楽が耳を抜けると吸いたくなるし、幸福な時ほど吸いたくなるのだ。散歩していても吸いたくなる。苛立ちはしない。

 

時間の過ごし方は人それぞれなんだって、それだけのことをわざわざ声を荒げるほどの居力も気概も無いので、私はただボーッとしていたのですが、望まない禁煙を達成してしまったようです。嗚呼!悲しきかなこの虚弱な肉体!

 

わたしの言葉は、効力を何故か保持できないようなのです。これは諦めではなく、ただの事実として存在するのみなのであります。

大切なことほど、声を響かせれば響かせるほど、思考の至った折角の無形であっても、せっかくの、創造物も音を立てて崩れてゆくのだ。私にははっきりと聞こえるんだ。そしてそれを怖いと思う。子を殺されるように。

だから、私は主張を捨てた。真剣に話す行為を、さも無関係ですよみたいな顔をして。

 

言いたいことなんて、きっと半分も伝わるわけがないんだ。鱗片さえ、掴めない。ううん、掴ませやしない。わたしには言葉を放棄した意地があるのだとすれば、それは酷く面倒なことですね。

ただ、分かってくれる人は表情で、言葉の不自由さすらも汲んでくれるはずって、信じてるよ。それが愛でしょうが、ボケ。

 

 

そう、煙草。

 

一概に悪いというのは、はて賢くありませんかしらね。

音楽、書籍、映画、アルコール...嗜むというのは、本来聡明であるべきなのではないでしょうか。それらを喫煙と並行して嗜める人間が存在しているという事実を、害悪なのに、馬鹿ねで片づけるなんて、よっぽど賢くないわよ。ロックじゃねえな、は?

 

もう疲れた。

 

つまりおれは卒論で趣味を喫煙の相関性でも経済的視点に乗っ取って考えちゃったら面白いのではと思っただけなんですね、はあ!やりたい!